Souichitj’s Blog

海外からの読み物

ヒックスの”慰安婦:日本の残虐と強圧の下での売春”のレビュウー

国連の慰安婦の報告書のクマラスワミ報告のもとになったヒックス氏の慰安婦に関する本のレビューの訳です。レビューはジェフロバーツ氏が1995年に行いました。このレビューにはもとより本の内容についてですが”何故慰安婦の問題が1980年の後半から話題になった”かについて日本の知識人の意見と外国の意見の違いがわかります。日本では朝日新聞が”吉田証言”を取り上げたのがきっかけになったが多々聞こえますがこの本のレビューでは慰安婦の女性の年齢と家族の関係、世界的な女性の権利の台頭の動き、そして韓国の経済力の伸張等が原因と述べられています。この違いを見誤ると慰安婦問題は解決がなかなか難しい気がしますが。

 

これが訳文です

ジョージヒックス 慰安婦:日本の残虐な体制の強圧の下での売春

 
批評 :ジェフ.ロバーツ(テネシー工科大学)1995年
 
女性を性行為のはけ口として兵隊に与えたのは大日本帝国が初めてではない。
ジョージヒックスは言う”規模の大小に関わらず組織化されてこのような原始的な性サービスを供給する機関はいつでもあった。”
しかしながら日本の軍隊の行ったものは強い吐き気を催すような虐待行為”軍隊の規律に基づいた”女性への強姦凌辱を歴史上例を見ないものだった”
とヒックスは強い口調で語る。
 
何故この長い間眠っていた事件が突然今になって話題になっているかをヒックスは説明する。アジア社会では女性の貞操が重んじられる、慰安婦は
”沈黙を守ることで利し、告発することで失う”。告発することで結婚生活を失うことを畏れ、賠償金や正義の裁決を求めることより彼女達の苦難の体験の沈黙をひたすらに守る。
 
又”当時の情報の日本陸軍による破壊、隠匿、又日本政府の戦争責任に対する誠意のない態度、慰安婦への社会的偏見等によって慰安婦の歴史を知る事が
遅れた。” 日本人としてはこの件を極力避けたい。日本政府は否定したり責任を逃れるため色々なことを試みた。例えば慰安婦は自発的に応募したとか、
軍の関与は限られたていた私的組織に任せていたとか。
 
1つの例外は戦争に勝利した連合軍もこの件は話題にしなかったとヒックスは又付け加えた。一方捕虜への残虐行為、市民の大量殺人は東京裁判で処理された、
そしてこれらの戦犯裁判は米ソ冷戦のおかげで途中で中止になった。オランダだけがオランダ女性だけを対象にして行動した。この孤立し、奇妙で、不正確な例外裁判はインドネシアの独立戦争の最中に行われたので日本は不正義とはいわなくても正式の手続きを踏んでいないと取り合わない。
 
多分最も重要なことは、慰安婦の犠牲者を最も多くだした韓国の女性達が戦争と抗議や抵抗に無関心な指導者への懸念から早期に現れなかったことだ。
それに加えて歴代の韓国の指導者がもとより日本からの経済支援への影響を恐れて日本の機嫌を損ねたくなかった。
 
元慰安婦達が補償問題を強く口にだすようになったのは1980年の後半から1990年代である。この頃までは元慰安婦達の家族がなくなる者もでてきて家族に対する恥を気にする必要がなくなったからである。さらにアジアの女性の権利に対する考え方も変わってきた。グループや個人がこの問題を女性に対する差別、虐げの問題として捉えるようになった。”倫理観、女性の権利、愛国心の立場から揺さぶる”:この問題を通じて今でも行われている女性への虐待、アジア諸国で今でも行われている性奴隷の為の人身売買等の関心を高める起動力になった。
 
1980年の後半に韓国の慰安婦援助団体は次の要求を掲げた
 
1.日本政府は韓国の女性が強制連行によって慰安婦にされたことを認める
2.元慰安婦に対して正式の謝罪を行う
3. すべての残虐行為を公開する
4.記念碑を建てること
5.生存者の及びその家族に補償金で償う
6.この事実を教育に反映させ後々同じ行為を繰り返さない
 
日本政府は最初強制連行の証拠はないので、謝罪、記念碑、公開、賠償金の必要を認めなかった
 
この答えは不満の怒りを誘いさらに多くの元慰安婦が名乗りを上げ、裁判に訴えるものも出てきた。他国の元慰安婦も韓国の元慰安婦の抗議に加わった。
 
暫くすると学者達も日本軍が慰安婦宿の工作に関係している明白な証拠を徐徐に見つけてきた。
 
日本政府にとってさらに悪い事には韓国政府が1992年にこの問題に関与してきた。他の被害国も韓国に続いた。
 
1993年8月日本政府は慰安婦の募集に甘言、弾圧、を使ったことと軍の関与を認めた。”元慰安婦の女性の皆様に取り返しのつかない肉体的と精神的な苦しみと心の傷を与えたとして”として心からお詫びと反省をする、又償いの方法を今後検討し歴史から厳しく学びとることをも約束する”と日本政府が発表した
 
本の中で最も衝撃的な部分は元慰安婦の体験談である。慰安婦として働いている時数多くの女性が暴力的に処女を犯され1日に10人以上の男達に強制的に性行為を強いれられ又色々な形で動物的な扱いを受けた。
 
ある女性は肉体的痛みに声もでなかった。”私はいつも気が沈んでいた”、ある慰安婦は回想する”性交は苦痛だった、性交の後、肉体に怪我をする人もいた、これはほとんどが日本軍の士官にやられたものだ。 兵隊に傷を負わせる者もいた、ある者が言うには数人の男はこのようなサドマゾ的な行為をオトナシくしているよりも好む者が結構いたと”
 
慰安婦の語る話にはサド的行為は性的暴力とともにかなり行われていたことが書かれている、下記の例のように
 
”ベッドに裸で横たわっている私の体を日本刀がゆっくりと這ってゆく。。。。猫が逃げようのないネズミをもてあそぶのを楽しむように。。。
私の体の上に彼の体を投出すように覆い被さり。。。強引に。。。この荒々しく獣じみた強姦は死ぬよりつらい。。。夜はまだ終わっていない、まだたくさんの日本人が
待っている、これはまだ始まりなのだ。。。”
 
痛んだお尻、びっこをひいている足、お腹にできた傷、骨折、鼓膜の破れた耳、欠けた歯よりも心に受けた傷はもっと無惨に感じた。
ある女性は今でも”抱えている性交に対する恐怖、男への憎悪感、この思いは彼女の孫に対しても憎しみの念を憶える。”私はどんな男とでも性行為を嫌悪する”
他の元慰安婦は違う視点から告白する”尊厳と名誉のすべてを剥奪された。どのくらい日本人を憎んだことか” 結婚した夜自分の家から連れ去られた彼女は
”日本人は憎んででも憎みたりない”と言う。
 
被害者の女性達に対する不正義な行為を行ったことを認めることがいつまでも認められない事が被害者の苦悩をさらに深くした。現在12人の孫を持つフイリッピンの元慰安婦は正義の裁決をくだすことは必要だ”私達の人生は日本人のおかげでむなしいものになった。私達は動物のように扱われた。日本は少なくとも”私が悪かった”と表明するべきだ。
 
日本の右翼の人間が鋭い皮肉を含んだ曖昧な弁解論を展開するのは興味深い。”戦争の責任は日本にはない、戦争中は規則なんかは通用しないし皆人権は踏みにじられた。現在騒いでいるのは経済的圧力を日本にかけようとしているのだ”と。
 
このような態度があるからこそ戦争責任でこの問題が制裁されていないだけでなくあらゆる方面から追求していく必要性を感じる。日本はこれまでに度々戦争中の日本の醜い面を隠したり若い世代に伝えたり教えていくことを避けてきた。国全体が戦争中の話題をすることはタブーで”国家健忘症”に陥っているきらいがある。
 
慰安婦問題で”日本の戦争中の残虐行為”に不信を示す態度は新たな疑問を生じている。何がもっとも求められるかというと賠償と謝罪だけでなく日本人全体に対しての歴史の正しい理解だ。
 
この問題を追求していく上で最もよく纏まられた説明が韓国挺身隊問題対策協議会が結論している”日本が犯した戦争犯罪の中でも慰安婦問題は最も非人間的な行為だ。国が犯した残虐性では世界に例を見ないものだ。私達は隠されている真実を公にし犠牲者に賠償と謝罪を執拗に求めてきた。この動きは人権を踏みにじられた元慰安婦達の権利を取り戻すための運動でもある。これは又ゆがめられた理解の韓国と日本の歴史をただしこのような戦争犯罪を2度と繰り返さないにように世界に警鐘をならす為でもある”
 
ヒックスは彼の日本政府の非難を支える膨大の証拠を述べていく。しかしこの問題を歴史的観点から他国の軍が行った売春行為に関する視点で考えるくだりでは、彼の説明の焦点がぼけてくる。戦後はアメリカ人の兵隊も慰安婦が言うように”日本の兵隊と同じような性奉仕を行った”と指摘することは勿論正しい。”日本軍の性奉仕とアメリカの駐留軍の性奉仕は女性の非人道的行為という面ではコインの表裏みたいだ”と著者は正当化するような口調で言う。
 
 
当時ヒックスは明らかな違いも書き記している、次の文章を見てみよう:ユダヤ人ホロキャストの学者はこの大量虐殺を歴史上の他の大量虐殺の例と比べてみても尊厳の剥奪の規模と性質、殺人と拷問に国家組織が深く関わったということでは類をみない。日本軍の性売春婦活動も国家と帝国陸軍が関係したことも含めて歴史上類を見ない。女性への尊厳の剥奪の深刻さの規模だけでなくまた苦しみにおいてでもある。
 
日本帝国陸軍は稀有な方法で試みようとした。ある者は性的抑制は事故を起こしやすいと考えたり、戦いの前の性交は傷を受けないとかの迷信、又ある兵隊は慰安婦の恥毛でお守りを作り戦場にでかけた。
 
迷信は状況をさらに堪え難いものにした。しかし軍司令部は”性に関しては軍事教練の外”という事で放っておいた。軍の中では新入り兵隊に完全なる服従をさせるため毎日虐待し非人間的に扱った。慰安婦は新入兵の激しい不合理な扱いを、特に司令官からの、我慢できる効果があると信じられていた。彼等は所属している兵隊達を低能な人類と見なし、女は軽蔑され性が違うだけでなく人種も違うと見なされていた、ある司令官は”やつらは牛以下だ”と嘯いた。
 
又大規模による官僚が関係したことは明らかだ。女性は3つの内1つの方法で得られた。最初は売春婦の中から応募者を募った。最も良く使われた手口は若い女性を料理、洗濯、看護、給仕等の仕事だと騙した。最後には女性は奴隷取引のように捕獲した。
 
ある”募集”は日本軍関連の民間のグループがあつかった”慰安所”を管理し、管理には軍が作った規則に準拠させ、性病の検査も行った.公認の規則はないが、開店の時間、1回の奉仕時間、浴室の手順、コンドームの使用(コンドームの不足しているところでは洗って何回も使う)、料金等が決められている。軍の官僚は女性を普通の物資と同じように扱った。慰安所の中での振る舞いは別として(男の欲望が暴力的に満たされる等)、慰安所は驚くほど陳腐で平凡に経営された。
 
作品にはちょっとした問題ある。かなりの知識人でも太平洋の地図には戸惑う。本に最低1つくらいの地図を付けてもらいたかった。戦争の背景の説明が少し
大雑把だが、筆者が問題の弁護側と日本の遅々とした罪の認識に年代別に批判していくに伴い後半にかけて反対に読者を詳細の記述に引き込む。最後に細かいことだがアフガニスタンの専門家として日露戦争が”アジアの国が初めて西欧の国と戦争して勝った”は正確でない。
 
又筆者が連合国がこの問題について戦争犯罪裁判でもっと早く処理しなかったのは失敗であるとの意見には賛同できない。連合国側は数少ない証拠しか持ってなかっただけでなくその時の環境を考えると芸者、トルコ風呂、その他似たようなもので知られている文化では慰安婦は特別ではないと考えても不思議ではない。
女性の権利の意識が強くなってきた現在、この問題は強い関心を集めるようになったが1940年当時の連合軍側がどのくらいはっきりと文化の習慣と残虐行為の差を認識していただろう。
 
現在も新たに発見されてい資料のおかげで今では慰安婦問題ではヒックスの作品がすべてと言う信奉者ばかりではないが彼の与えた情報は大きな価値がある。彼の作品が扱う提題は人種差別の嫌悪感とか感情的になりやすいが限られた範囲での公平さを保ったと言う点でも評価される本だ(本のタイトルは別だが)。慰安婦に同情をよせる前日本兵、”便所で用をたすのと変わりない”と全体の仕組みに反対する元兵隊も含む、もいるとヒックスは付け加えた。73才の元兵隊は”元慰安婦は何かの形で補償されるべき時だ”。ヒックスの本の読者はこの意見に同意するだろうということでこの本の結論としたい。
 
以上
 
これが原文へのリンクですH-Net Reviews