イスラム国(ISIS)出現の知らぜられざる背景
中東専門家のジャーナリスト アメッド ナフィー氏が第2イラク戦争から始まった
中東湾外地帯の混乱の結果生まれたイスラム国の生まれた背景を新しい観点から解析
した記事です。
訳文
ISISの勃興はネオコンの仕組んだ謀略
Nafeez Ahmed Middle East 2014年6月
イラク戦争後の欧米のニュースを読むと自分達でつけた名前のISIS(Islamic State of Iraq and Syria)が西側諸国の驚きをよそに突然ふって湧いたように思えるだろう、
そして今予測がきかない嵐のように中東地区を荒れ狂っている。
現実はもっと複雑で苦いものだ。ISIS誕生は中東の石油とガスを確保する為、米国中心の中東戦略グループが独裁者とテロリストを利用して行ってきた結果で
予想されたことだ。
2003年のイラク侵攻迄、石油が重要な役割を担っていたことは言うまでも
ないだろう。低調だったイラクの石油産業を外国の投資家が開発投資できる
ように侵攻、占領、石油の活発化を狙った計画は、米国防総省、米国政府、英国外務省の眼の前で華々しく破裂したー侵攻の後の復興計画が全く用意されていなかった。
巨大な石油が埋蔵されているイラクを開放することは、連合国暫定当局のある英国の外交官によると予測される”世界における石油供給の不足”を避け、市場の
石油価格を安定させ、副大統領のデイックチェイニイの委託したグループの解析によると、2001年にやってくると言われた”エネルギー危機”を遅らせることができる。
宗教別宗派による分割
同じ頃影響力のある米国政府の前副大統領チェイニイと副防衛省長官のポールウオルホイッツは2人はイラクを3つに分割、スニー、グルド、シーアイにわける
とんでもない謀議をたてていた。
シナリオは米国の民間機密情報機関 Stratforが練り2002年10月にしたためられた:イラクに生まれた新しい政府がイラク全体を統治しようとすればスニー、シーアイ、グルドの間で市民戦争を起こすだろう...今まででも最も激しい石油施設を争奪する戦いになるだろうーまさに今ISISがイラクで起こしている混乱の状態。
Stratfordによると3つの民族別に分かれたイラクは”ワシントンにいくつかの戦略的に有利な点を与える”と言う。
”イラクから独裁政権を取り除いたことによってジョーダンにあるアマーンを首都にする反米政権が今後バクダッドに現れてくることはないだろう。”
そして地政学によって米国の敵になる可能性のあるイラン、サウジアラビア、シリアが親米政権に操られる広大な領土で隔てられている。”
新しい経験の浅い政権が米国に守って欲しいのでこの地域に戦力の長期滞在を正当化し石油市場と石油供給の安定を確保できることも又重要だ。
又米国がイラクの石油を直接支配できるのでリヤドの政変等あった場合サウジアラビアからの石油の替りになる。
このような戦略的考え方は米国が秘密裡に両方、スニーとシーアイ、のグループを武装化させる。米国のJSOU(Joint Special Security Operation) の報告によると
”イラク米国親衛隊はこれらのグループを互い戦わせることを戦略的行動の目的としている。この行動には米国の心理作戦部隊(PSYOP)がアルカイダの影響をイラク
内に浸透をさせこれらの派閥間、反対分子の間の争いに火を注ぐことである。
2005年の初め、パキスタンの軍事関係者が語ったところによると米国国務省は米国の支持する小さな武装集団をを作りイラクの中に入り込ませようとしている。
この武装集団のメンバーは前のサダンフセインのバーサー党の一員でありアルカイダに訓練され、米国が秘密裡にシーアイの宗教グループとの抗争に備えさせる。
同時に国務省はサルバドル案の実行ーシーアイの宗教暗殺グループを支援しスニーとその支援グループと戦わせることを目的とする。
分裂させて治める
”分裂させて治める”戦略の異なる派閥への分裂はイラクだけでなく周辺の地域まで広がった。ここ10年間、ブッシュとオバマ政権はサウジアラビア、カタール
等湾岸諸国と協力してこれらのグループに武器供出等武力援助をイランに対抗する策として行ってきた。その結果アルカイダの流れを汲むスニー集団が最も強力な集団になった。
フランスの前外交官によるとこの短絡的な戦略はシリアの過激派にも10億ドルに及ぶ資金の供給を2009年頃から始めた。
この戦略のいきつくところはどうなるのかを2006年に発表された米国陸軍中佐 前の情報幕僚長長官代理室の次世代における武力衝突の長(Head of Future War Affair in Office of Deputy Chief of Staff for Intelligence) がまとめた”Armed Force Journal”に暴露された。このジャーナルには中東の地図に最終的民族掃討戦後の国境線が引かれていた。
我々の世界では皮肉にも民主主義が安定と平和を保つ為には最も戦いが起こるべくして起こる地帯から石油の確保することが必要だ。この計画はチェイニーとウオルコットによって企画され、イラクを3つの地域に分割しシリア、サウジアラビア、イラン、パキスタンを血を血で洗う抗争によって新しい国境線が引かれるであろう。この結果今より平和で隠棲な国家が生まれるだろう。
恐るべき結末
今起こっていることは米国陸軍が出資しているRAND Corpの2008年の”いかに長びく戦いに勝利できるか”について述べた報告書に驚くほど近い。
”将来の石油産出の成長は湾岸国が主役を演じる”ことを考慮して報告書は米国が湾岸地帯の石油の安定供給を確保する為には”分裂させて治める”政策を支持している。
この政策はイスラム過激派間で戦わせるーイスラム過激派の妥協できない性質を利用し彼等のエネルギーが尽きるまで戦わせるのである。
一方スンニとシーアイ派を戦わせサウジアラビア、エジプト、パキスタンのスンニ派を強固にしイランを封じ込め中東とペリシア湾の石油獲得を有利にする。
イスラムのテロリストグループを一時は力ずけるかも知れないが、アルカイダは中東、湾岸諸国のイランの活動にエネルギーを使い米国への関心が薄まるだろうと
報告書は述べている。
しかしながら事実は米英国、湾岸諸国、トルコ、そしてイランの地政学的駆け引きはイスラム型のフランケンシュタインISISを生んでしまったー彼等の行為があまりにも
残酷なので育ての親であるアルカイダさえ袂を分かった。一方“ISISの勃興は図らずも新しい中東の出現を企むネオコンの描いていた夢に絶好の機会を与えてくれる。
以上
原文
ヒックスの”慰安婦:日本の残虐と強圧の下での売春”のレビュウー
国連の慰安婦の報告書のクマラスワミ報告のもとになったヒックス氏の慰安婦に関する本のレビューの訳です。レビューはジェフロバーツ氏が1995年に行いました。このレビューにはもとより本の内容についてですが”何故慰安婦の問題が1980年の後半から話題になった”かについて日本の知識人の意見と外国の意見の違いがわかります。日本では朝日新聞が”吉田証言”を取り上げたのがきっかけになったが多々聞こえますがこの本のレビューでは慰安婦の女性の年齢と家族の関係、世界的な女性の権利の台頭の動き、そして韓国の経済力の伸張等が原因と述べられています。この違いを見誤ると慰安婦問題は解決がなかなか難しい気がしますが。
これが訳文です
ジョージヒックス 慰安婦:日本の残虐な体制の強圧の下での売春
オーストラリアのABC プログラムが上海で放送したもの
Published on May 14, 2014
Australia ABC program Q&A aired in Shanghai in China with Japanese subtitle.
オーストラリアのABC プログラムが上海で放送したもの。日本語字幕入り
オーストラリアと中国の関係、中国と日本の関係、大気汚染の問題、中国経済発展の問題
中国の報道センサーシップ、民主主義への移行等が話合われています。
民主主義はいつでも最良の政治体制か
Published on Aug 22, 2014
”民主主義はいつでも最良の政治体制か”についての討論、日本語サブタイトル付き
催し 知的広場討論
討論の行われた場所 イギリス ロンドン
司会者 Nick Gowen(ニックゴーエン)
討論者 肯定側 Martin Jacques(マーチィンジェイク) ”中国が世界を制覇する時”の著者 Rosemary Hollis(ローズマリーホリス) 中東研究の教授、”民主主義に友達 はいない”
否定側 Ian Bremmer(イアンブレマー) アメリカの政治学者、政治的リスクの研究 コンサルタント ユーラシアグループの指導者 Andriy ShevChenco(アンドレイチェブチェンコ ウクライナの国会議員
インドネシア人の元慰安婦の初めての告白
これはインドネシアに住む元慰安婦の物語を記述した新聞 Jakarta Globeの記事である。インドネシアは前スハルト政権の下ではこのような話は国辱ものとして話せなかった。又元慰安婦の人も慰安婦の体験はその後も心の傷となり思い出したくもなかったがオランダ記者のビルジャンセンと写真家のジャンバニングの努力によって重い口を初めて開く事ができた。
これがその全文の訳です。
2010年8月18日 カトリンフィジ報告
13才になるロナシーは学校から帰る途中あだ名がサイドバーンズという兵隊にトラックに乗せられて近くの兵舎に運ばれドアに鍵をかけられた。
そこで彼女は3ヶ月間サイドバーンズと彼の友達に何回も強姦された。
これは西ジャバ セランガに住むロナシーの話だけど他にも第二次世界大戦中彼女のような暴力的性行為の犠牲になったインドネシア人の婦女子は多数いる。
彼女等は日本軍の兵隊に強制的に売春婦にされたり繰り返し強姦、性的虐待が倉庫の中や汽車の貨車の中、時には彼等の家の中でも行われた。
これは少しの人間しかおおやけに語ることができない歴史の暗い一章である。
彼女達、慰安婦又は従軍慰安婦と呼ばれた人達は不名誉、恥辱を今でも感じている。
彼女の父親は兵舎を娘を返してもらおうと何度も訪ねてきたが却って娘の返還は彼の無償の労働が条件だとと言ってただで働かせられました。ただしロナシーが帰ることができたのは戦争後で体はやせ細っていました。”体中が痛くて歩けないので這って家に辿り着きました。”
戦争の後すぐに内部疾患の手術をしました。”はじめは体が回復しないと畏れ体が回復する迄待ってたので結婚は随分後になりました”
彼女は5回結婚したが子供はできなかった。”私は体に注射もしてもらいましたが、子供は神様が与えるもので人ではないと思いますから”
彼女の物語は今オランダの記者のヒルダジャンセンと写真家のジャンバニング主催の南ジャカルタのイラスマスで開催中の従軍慰安婦写真展に展示されています。
ジャンセンとバニングは沈黙を守っていた元慰安婦だった人に話を聞き録音するためインドネシアに来た。
展示会はその仕事の一環で18人の顔写真、彼女達の年齢は70後半から80前半、彼女等の物語を綴ったノートを添えてある。
又オランダの書庫で見つけた日本の戦争のプロパガンダのポスターも展示している。このポスターはその横に並んだ彼女達、体験談を滅多にしない、の写真と対象的だ。
加えてジャンセンとバニングは”恥と無邪気さ”:苦しんだインドネシアの慰安婦の記録”という本の英語版とオランダ語版を最近発行した
又バニングは元慰安婦の写真集も創った。
”醜い女に見えることをなんと願ったことか、醜い女はすぐに返されたけど可愛い子は残らなければならなかった”。これらの言葉は西ジャバ クニンガンから来たエマという婦人の写真に添えられていた物語の中からである。
写真は黒のブラウスを着て紫色の花を手にした年老いた女の人が写っていた。寄せ皺が厳粛な顔をつくっていた
エマは結婚することは出来たが遂に子供ができなかった。
添えられた彼女の体験談を語るノ-トがなくても心に受けた傷と悲しみが写真の中にある彼女が語りかけてくる。
ジャンセンはこの仕事は簡単ではないと言う。まず元慰安婦を探すのが困難で居場所がわかっても、ほとんどの者は慰安婦の体験談をしたがらない。また元慰安婦のほとんどは既に亡くなっている。
私達はまだ恥辱心など心の傷を抱えた彼女達を慎重に扱わなければならなかった。彼女達は強姦という言葉を使うのにはためらいがちで照れ隠し笑いをしながら強引な性行為とか単にやられたとか言う言葉を使っていた。
現在80才になった彼女達でも時々今でも侮蔑を含んだ薄笑いされる場合がある。
彼女達は太平洋戦争の思いをできるだけ忘れたくても、軽蔑の眼、心の傷み、子供の出来ない人生、失敗した結婚生活が彼女達にまとわりついて忘れさせない。
彼女達にとって慰安婦の体験は思い出したくない話だけどジャンセンは公けにすることはやはり正しい事だと思った。
この人達は肉体的、心理的に受けた障害と今でも葛藤しているにも関わらずそれを起こした日本人達は今は普通の生活をしている。沈黙の壁は壊れて彼女達の声はもう抑えつけることは出来ない。
女性の対する暴力の国立協会の会長ユニユンテさんがこの展示会を開催しこの問題にもっとこの問題に人の関心を向ける時がきたという意見に同意した。
この写真の中のイメージが与えた大きな功績は彼女達が過去60年間苦しめてきた性的暴力の個人体験を分かち合える勇気を持ったことだ。
彼女達の声は正式な謝罪と賠償金を要求するだけでなく又将来の女性達がこのような性的暴力の犠牲者にならないようにすることである。
バニングによると慰安婦の数はアジア全体で200,000人,インドネシアだけで20,000人いる。彼は前にも似たようなプロジェクト、戦争中のビルマとスマトラ鉄道の強制労働に苦役された男達、を扱ったことがある。
ほとんどの男達は口が硬かった、彼等にとっては嫌悪感と恥ずべき体験だった。
彼は慰安婦の体験も同じような切ない気持ちが、いやそれ以上だったと付け加えた。実際はオランダの慰安婦の事もこのプロジェクトに含めた。オランダの慰安婦は200から400人居るはずだがあらわれたのは数えるほどだった。
ユニユンテさんは慰安婦の物語はこの国を形成してきた要因の一つだと言う。インドネシア独立の話の最も重要な時を担っただけでなく、慰安婦に関連した案件は今でも適当な問題である。前の政府(スハルト政権)の行政で問題のある案件は秘密にしたりもみ消されしたのは明らかである。
慰安婦の問題を日本の外ではどう思っているのか
朝日新聞の慰安婦の記事の訂正があってから世界の慰安婦に関する認識も変わるだろうとか変わるようにすべきだとの論議がされてうますが実際のところ外国ではどう思っているかの意見を紹介する意味でこのブログを作ってみた。
これはアメリカの雑誌Forbeに載っていたエーモン・フィングルトン氏の'Disgusting!.'Cry Legal Expert:Is This A Top U.S. Law Firm Has Ever Stooped?'(”あきれかえった” と法律専門家は声をあげた、ここまで卑屈になった米国の中でもトップクラスの法律事務所)
この記事はグレンデールで慰安婦の記念碑を取り除く訴訟を起こした日系活動団体を弁護する筈だった法律事務所メイアーブラウンを酷評したものです。この記事のためかどうかはわかりませんが現在はメイアーブラウンは原告の弁護を降りたそうです。日本以外の慰安婦に関する見方の一端がわかるので自分なりに訳して紹介することにしました。
この記事の筆者のエーモン・フィングルトン氏は27年間東京を基点に東アジア経済を扱ってい経済記者です。日本については親日家でも嫌日家でもないと思います。
下が訳文です。
ここまで卑屈になった米国の法律事務所
ユダヤ人には大量虐殺は当然の報いだとの依頼を取り上げる一流の法律事務所がアメリカにあると思いますか? 普通の法律事務所はまず断るだろう、又評判がそれほどよくない事務所でも名前に傷つくリスクが大きいと判断して取り合わないだろう。
日本帝国陸軍が行った暴虐に関して弁護しようとする一流の法律事務所が米国に1つある。シカゴに本社を構えるメイアーブラウン法律事務所は米国で最も悪名高い”慰安婦”のケースー戦時中の大日本帝国陸軍が行った性奴隷はただの売春婦だったと証明しようとしている。
訴訟を起こしたのは日系人のミチコ シオタ ジンジャーリーと目良浩一
とGAHT-US(奇妙な名前、組織の正体を知ったらメイアーブラウンのまともな法律家なら恥ずかしくなると思うが後で話そう)。
訴訟の焦点は最近カルフォルニアのグレンデールの公園に建てられた韓国出資の慰安婦記念碑に関した件である。
訴訟の目的は記念碑はアメリカに住んでいる日系人に疎外感、嫌悪感、そして怒りなどの精神的苦痛を与える為取り除く依頼である。
これはユダヤ人のホロカースト記念碑がドイツ系アメリカ人に精神的苦痛を与えるから取り除けというようなものである。この訴訟はアメリカの主報道機関ではあまり話題になっていないが海外、例えばロンドンではロバートフィスクが痛烈な批判をしている。又法律関係のブロガーから辛辣な批判が、例えばロスアンジェルスの有名な司法家ケンホワイトは私は今迄こんなに腹が立ち唖然とした訴訟は聞いた事がないと。この訴訟は法律を馬鹿にしているから絶対成功させてはならない、そしてこれに関係した者達は社会的罰を受けることを覚悟すべきだ。ブログのリンクは
http://www.popehat.com/2014/02/25/controlling-public-art-by-lawsuit-japanese-american-citizens-sue-to-remove-comfort-women-memorial/
強烈な言葉だがホワイトの主張は正しい。既に多数の歴史資料で日本帝国陸軍が日本の植民地で営んでいた売春宿に多数の無邪気な少女達が銃で脅かされ連行されて性行為をやらされていたことがわかっている。
(勿論全部が無邪気な少女ではないが。軍は最初はプロの売春婦を使ったが、プロの売春婦でさえそんな地獄のようなところに自主的に働くものは少なかった。ごく少数の売春婦が軍の要望を満たしただけだ。日本の軍隊は巨大で6時間帯に広がって600万人いた。ほとんどの兵隊は休暇なんてなかった。)
27年間日本に滞在して東京で観察してきた私としてはメイヤーブラウンが主張してきた”今でも政治的な論議が活発に交わされている話題”はあきらかな詭弁だ。この問題ははっきりしている。慰安婦の証言に疑問を持つまともな日本人に私は会った事はない。
日本政府でさえ認めている。1993年に内閣官房長官河野洋平氏の発表した広く知られている”河野談話”によれば仲介人が軍のかわりに脅かして無理矢理に連行したケースが多々あると言っている。この発言によれば奴隷的扱いを受けていた婦人達の状況の詳細まで述べている。”軍隊の移動により彼女達も移動しなければならず彼女等に自由はなく惨めな思いをしなければならなかった。”
”河野談話は発表された時はアメリカの主な新聞の1面に扱われたニュースだったが内容に新しいものはなかった。東京は長い間否定してきたので事情に詳しくないアメリカの報道機関は内容を初めて知ったが、慰安婦に関する訴訟は欧米式の裁判で1948年にオランダの法廷で判決がくだされている。
オランダ領東インド(インドネシア)で行われた裁判ではオランダ婦女が日本軍将校達に性的奴隷を強いられた。1日本軍将校は死刑になり10人の日本人兵隊が刑務所に送られた。
1956年には欧米の日本外交では珍しく、日本政府から虐待犠牲者への補償を勝ち取ることはほぼ不可能だったが、日本政府が補償金を犠牲者に払った。
1985年にはオランダ政府は慰安婦についてオランダの戦争の歴史に掲載しました。リンクはhttp://www.awf.or.jp/pdf/0205.pdf
驚くべき事実の1つに被害国、中国、韓国、台湾、ベトナム、インドネシア、ビルマ、フィリッピン、そしてオランダ、の犠牲者の証言の詳細がほとんど似ているということである。
慰安婦の話は日本軍国主義の長い歴史でも1930年以前には聞いた事はない、日本は19世紀後半から20世紀前半にかけていくつかの戦争を経験しているが。それまで日本は婦女子の扱いに関してもジュネーブ条約の模範的な遂行国であった。それは新しい日本が文化国家として世界の覇権を握る強い欧米の国家の仲間入りする為の外交、経済政策の戦略であった。
1930年以前は軍の性的行為が皆無なのに突然起こってきたのは東京が”制限なしの戦争遂行”の政策を決めたことと合致している。(軍部が政府を超える権力を持ったこと、統帥権干犯、天皇の君臨すれども統治せず方針のことを意味していると思われる)
GAHT-USはGlobal Alliance for Historical Truth-US(歴史の真実を求める世界連合会)の訳で響きはいいが創設の謂れはそうでもない。この組織は最近2月6日に創設されUPS会館が正式な住所として登録されている。何が問題かと言うと意図的に他の組織の名前と間違える名前が選ばれた。Global Alliance for Preserving History of WWII in Asia, アジアにおける第2次世界大戦の歴史を守る世界連合会。後者は中国系アメリカ人の学者達で組織された昔から信頼されてきた学会組織で慰安婦論議にかんしては反対の立場をとる。グ-グルでGloval Alliance for Historical Truth を探索すると最初の2つは中国系アメリカ人の名前が見つかり評判の高い中国系アメリカ人の学者グループでさえ慰安婦は売春婦だと言う説に賛同しているという印象を受けるわけである。記事を書く為ミチコ.ジオタに電話して彼女は慰安婦の証言は虚偽と思うかと尋ねた。彼女は質問には答えず慰安婦記念碑は韓国か日本ならともかくアメリカに建てるべきではないと答えた。同じ理由で記念碑に反対する意見があったが少し偏ってる見方だと思う。事実は韓国系アメリカ人はグレ-ンデ-ルでは少数グループで他の民族グループが過去の残虐行為の記念碑を建てるのは珍しくない。ウイクペデアによればユダヤ人ホロキャストの記念碑だけでもアメリカに45ありアイルランドの飢饉に関してが16、トルコのアルメニア人虐殺が6ある。
'Disgusting!,' Cry Legal Experts: Is This The Lowest A Top U.S. Law Firm Has Ever Stooped? - Forbes