Souichitj’s Blog

海外からの読み物

イスラム国(ISIS)出現の知らぜられざる背景

中東専門家のジャーナリスト アメッド ナフィー氏が第2イラク戦争から始まった

中東湾外地帯の混乱の結果生まれたイスラム国の生まれた背景を新しい観点から解析

した記事です。

 

訳文

ISISの勃興はネオコンの仕組んだ謀略

 

Nafeez Ahmed   Middle East  2014年6月

 

イラク戦争後の欧米のニュースを読むと自分達でつけた名前のISIS(Islamic State of Iraq and Syria)が西側諸国の驚きをよそに突然ふって湧いたように思えるだろう、

そして今予測がきかない嵐のように中東地区を荒れ狂っている。

 

現実はもっと複雑で苦いものだ。ISIS誕生は中東の石油とガスを確保する為、米国中心の中東戦略グループが独裁者とテロリストを利用して行ってきた結果で

予想されたことだ。

 

2003年のイラク侵攻迄、石油が重要な役割を担っていたことは言うまでも

ないだろう。低調だったイラクの石油産業を外国の投資家が開発投資できる

ように侵攻、占領、石油の活発化を狙った計画は、米国防総省、米国政府、英国外務省の眼の前で華々しく破裂したー侵攻の後の復興計画が全く用意されていなかった。

 

巨大な石油が埋蔵されているイラクを開放することは、連合国暫定当局のある英国の外交官によると予測される世界における石油供給の不足を避け、市場の

石油価格を安定させ、副大統領のデイックチェイニイの委託したグループの解析によると、2001年にやってくると言われたエネルギー危機を遅らせることができる。

 

宗教別宗派による分割

 

同じ頃影響力のある米国政府の前副大統領チェイニイと副防衛省長官のポールウオルホイッツは2人はイラクを3つに分割、スニー、グルド、シーアイにわける

とんでもない謀議をたてていた。

 

シナリオは米国の民間機密情報機関 Stratforが練り2002年10月にしたためられた:イラクに生まれた新しい政府がイラク全体を統治しようとすればスニー、シーアイ、グルドの間で市民戦争を起こすだろう...今まででも最も激しい石油施設を争奪する戦いになるだろうーまさに今ISISがイラクで起こしている混乱の状態。

 

Stratfordによると3つの民族別に分かれたイラクはワシントンにいくつかの戦略的に有利な点を与えると言う。

 

イラクから独裁政権を取り除いたことによってジョーダンにあるアマーンを首都にする反米政権が今後バクダッドに現れてくることはないだろう。

そして地政学によって米国の敵になる可能性のあるイラン、サウジアラビア、シリアが親米政権に操られる広大な領土で隔てられている。

新しい経験の浅い政権が米国に守って欲しいのでこの地域に戦力の長期滞在を正当化し石油市場と石油供給の安定を確保できることも又重要だ。

又米国がイラクの石油を直接支配できるのでリヤドの政変等あった場合サウジアラビアからの石油の替りになる。

 

このような戦略的考え方は米国が秘密裡に両方、スニーとシーアイ、のグループを武装化させる。米国のJSOU(Joint Special Security Operation) の報告によると

イラク米国親衛隊はこれらのグループを互い戦わせることを戦略的行動の目的としている。この行動には米国の心理作戦部隊(PSYOP)がアルカイダの影響をイラク

内に浸透をさせこれらの派閥間、反対分子の間の争いに火を注ぐことである。

 

2005年の初め、パキスタンの軍事関係者が語ったところによると米国国務省は米国の支持する小さな武装集団をを作りイラクの中に入り込ませようとしている。

この武装集団のメンバーは前のサダンフセインのバーサー党の一員でありアルカイダに訓練され、米国が秘密裡にシーアイの宗教グループとの抗争に備えさせる。

同時に国務省はサルバドル案の実行ーシーアイの宗教暗殺グループを支援しスニーとその支援グループと戦わせることを目的とする。

 

分裂させて治める

 

分裂させて治める戦略の異なる派閥への分裂はイラクだけでなく周辺の地域まで広がった。ここ10年間、ブッシュとオバマ政権はサウジアラビア、カタール

等湾岸諸国と協力してこれらのグループに武器供出等武力援助をイランに対抗する策として行ってきた。その結果アルカイダの流れを汲むスニー集団が最も強力な集団になった。

 

フランスの前外交官によるとこの短絡的な戦略はシリアの過激派にも10億ドルに及ぶ資金の供給を2009年頃から始めた。

 

この戦略のいきつくところはどうなるのかを2006年に発表された米国陸軍中佐 前の情報幕僚長長官代理室の次世代における武力衝突の長(Head of Future War Affair  in Office of Deputy Chief of Staff for Intelligence) がまとめたArmed Force Journalに暴露された。このジャーナルには中東の地図に最終的民族掃討戦後の国境線が引かれていた。

 

我々の世界では皮肉にも民主主義が安定と平和を保つ為には最も戦いが起こるべくして起こる地帯から石油の確保することが必要だ。この計画はチェイニーとウオルコットによって企画され、イラクを3つの地域に分割しシリア、サウジアラビア、イラン、パキスタンを血を血で洗う抗争によって新しい国境線が引かれるであろう。この結果今より平和で隠棲な国家が生まれるだろう。

 

恐るべき結末

 

今起こっていることは米国陸軍が出資しているRAND Corp2008年のいかに長びく戦いに勝利できるかについて述べた報告書に驚くほど近い。

将来の石油産出の成長は湾岸国が主役を演じることを考慮して報告書は米国が湾岸地帯の石油の安定供給を確保する為には分裂させて治める政策を支持している。

 

この政策はイスラム過激派間で戦わせるーイスラム過激派の妥協できない性質を利用し彼等のエネルギーが尽きるまで戦わせるのである。

一方スンニとシーアイ派を戦わせサウジアラビア、エジプト、パキスタンのスンニ派を強固にしイランを封じ込め中東とペリシア湾の石油獲得を有利にする。

 

イスラムのテロリストグループを一時は力ずけるかも知れないが、アルカイダは中東、湾岸諸国のイランの活動にエネルギーを使い米国への関心が薄まるだろうと

報告書は述べている。

 

しかしながら事実は米英国、湾岸諸国、トルコ、そしてイランの地政学的駆け引きはイスラム型のフランケンシュタインISISを生んでしまったー彼等の行為があまりにも

残酷なので育ての親であるアルカイダさえ袂を分かった。一方“ISISの勃興は図らずも新しい中東の出現を企むネオコンの描いていた夢に絶好の機会を与えてくれる。

以上

 

原文

http://english.alarabiya.net/en/views/news/middle-east/2014/06/19/The-rise-of-ISIS-in-Iraq-is-a-neocon-s-dream.html

 

ヒックスの”慰安婦:日本の残虐と強圧の下での売春”のレビュウー

国連の慰安婦の報告書のクマラスワミ報告のもとになったヒックス氏の慰安婦に関する本のレビューの訳です。レビューはジェフロバーツ氏が1995年に行いました。このレビューにはもとより本の内容についてですが”何故慰安婦の問題が1980年の後半から話題になった”かについて日本の知識人の意見と外国の意見の違いがわかります。日本では朝日新聞が”吉田証言”を取り上げたのがきっかけになったが多々聞こえますがこの本のレビューでは慰安婦の女性の年齢と家族の関係、世界的な女性の権利の台頭の動き、そして韓国の経済力の伸張等が原因と述べられています。この違いを見誤ると慰安婦問題は解決がなかなか難しい気がしますが。

 

これが訳文です

ジョージヒックス 慰安婦:日本の残虐な体制の強圧の下での売春

 
批評 :ジェフ.ロバーツ(テネシー工科大学)1995年
 
女性を性行為のはけ口として兵隊に与えたのは大日本帝国が初めてではない。
ジョージヒックスは言う”規模の大小に関わらず組織化されてこのような原始的な性サービスを供給する機関はいつでもあった。”
しかしながら日本の軍隊の行ったものは強い吐き気を催すような虐待行為”軍隊の規律に基づいた”女性への強姦凌辱を歴史上例を見ないものだった”
とヒックスは強い口調で語る。
 
何故この長い間眠っていた事件が突然今になって話題になっているかをヒックスは説明する。アジア社会では女性の貞操が重んじられる、慰安婦は
”沈黙を守ることで利し、告発することで失う”。告発することで結婚生活を失うことを畏れ、賠償金や正義の裁決を求めることより彼女達の苦難の体験の沈黙をひたすらに守る。
 
又”当時の情報の日本陸軍による破壊、隠匿、又日本政府の戦争責任に対する誠意のない態度、慰安婦への社会的偏見等によって慰安婦の歴史を知る事が
遅れた。” 日本人としてはこの件を極力避けたい。日本政府は否定したり責任を逃れるため色々なことを試みた。例えば慰安婦は自発的に応募したとか、
軍の関与は限られたていた私的組織に任せていたとか。
 
1つの例外は戦争に勝利した連合軍もこの件は話題にしなかったとヒックスは又付け加えた。一方捕虜への残虐行為、市民の大量殺人は東京裁判で処理された、
そしてこれらの戦犯裁判は米ソ冷戦のおかげで途中で中止になった。オランダだけがオランダ女性だけを対象にして行動した。この孤立し、奇妙で、不正確な例外裁判はインドネシアの独立戦争の最中に行われたので日本は不正義とはいわなくても正式の手続きを踏んでいないと取り合わない。
 
多分最も重要なことは、慰安婦の犠牲者を最も多くだした韓国の女性達が戦争と抗議や抵抗に無関心な指導者への懸念から早期に現れなかったことだ。
それに加えて歴代の韓国の指導者がもとより日本からの経済支援への影響を恐れて日本の機嫌を損ねたくなかった。
 
元慰安婦達が補償問題を強く口にだすようになったのは1980年の後半から1990年代である。この頃までは元慰安婦達の家族がなくなる者もでてきて家族に対する恥を気にする必要がなくなったからである。さらにアジアの女性の権利に対する考え方も変わってきた。グループや個人がこの問題を女性に対する差別、虐げの問題として捉えるようになった。”倫理観、女性の権利、愛国心の立場から揺さぶる”:この問題を通じて今でも行われている女性への虐待、アジア諸国で今でも行われている性奴隷の為の人身売買等の関心を高める起動力になった。
 
1980年の後半に韓国の慰安婦援助団体は次の要求を掲げた
 
1.日本政府は韓国の女性が強制連行によって慰安婦にされたことを認める
2.元慰安婦に対して正式の謝罪を行う
3. すべての残虐行為を公開する
4.記念碑を建てること
5.生存者の及びその家族に補償金で償う
6.この事実を教育に反映させ後々同じ行為を繰り返さない
 
日本政府は最初強制連行の証拠はないので、謝罪、記念碑、公開、賠償金の必要を認めなかった
 
この答えは不満の怒りを誘いさらに多くの元慰安婦が名乗りを上げ、裁判に訴えるものも出てきた。他国の元慰安婦も韓国の元慰安婦の抗議に加わった。
 
暫くすると学者達も日本軍が慰安婦宿の工作に関係している明白な証拠を徐徐に見つけてきた。
 
日本政府にとってさらに悪い事には韓国政府が1992年にこの問題に関与してきた。他の被害国も韓国に続いた。
 
1993年8月日本政府は慰安婦の募集に甘言、弾圧、を使ったことと軍の関与を認めた。”元慰安婦の女性の皆様に取り返しのつかない肉体的と精神的な苦しみと心の傷を与えたとして”として心からお詫びと反省をする、又償いの方法を今後検討し歴史から厳しく学びとることをも約束する”と日本政府が発表した
 
本の中で最も衝撃的な部分は元慰安婦の体験談である。慰安婦として働いている時数多くの女性が暴力的に処女を犯され1日に10人以上の男達に強制的に性行為を強いれられ又色々な形で動物的な扱いを受けた。
 
ある女性は肉体的痛みに声もでなかった。”私はいつも気が沈んでいた”、ある慰安婦は回想する”性交は苦痛だった、性交の後、肉体に怪我をする人もいた、これはほとんどが日本軍の士官にやられたものだ。 兵隊に傷を負わせる者もいた、ある者が言うには数人の男はこのようなサドマゾ的な行為をオトナシくしているよりも好む者が結構いたと”
 
慰安婦の語る話にはサド的行為は性的暴力とともにかなり行われていたことが書かれている、下記の例のように
 
”ベッドに裸で横たわっている私の体を日本刀がゆっくりと這ってゆく。。。。猫が逃げようのないネズミをもてあそぶのを楽しむように。。。
私の体の上に彼の体を投出すように覆い被さり。。。強引に。。。この荒々しく獣じみた強姦は死ぬよりつらい。。。夜はまだ終わっていない、まだたくさんの日本人が
待っている、これはまだ始まりなのだ。。。”
 
痛んだお尻、びっこをひいている足、お腹にできた傷、骨折、鼓膜の破れた耳、欠けた歯よりも心に受けた傷はもっと無惨に感じた。
ある女性は今でも”抱えている性交に対する恐怖、男への憎悪感、この思いは彼女の孫に対しても憎しみの念を憶える。”私はどんな男とでも性行為を嫌悪する”
他の元慰安婦は違う視点から告白する”尊厳と名誉のすべてを剥奪された。どのくらい日本人を憎んだことか” 結婚した夜自分の家から連れ去られた彼女は
”日本人は憎んででも憎みたりない”と言う。
 
被害者の女性達に対する不正義な行為を行ったことを認めることがいつまでも認められない事が被害者の苦悩をさらに深くした。現在12人の孫を持つフイリッピンの元慰安婦は正義の裁決をくだすことは必要だ”私達の人生は日本人のおかげでむなしいものになった。私達は動物のように扱われた。日本は少なくとも”私が悪かった”と表明するべきだ。
 
日本の右翼の人間が鋭い皮肉を含んだ曖昧な弁解論を展開するのは興味深い。”戦争の責任は日本にはない、戦争中は規則なんかは通用しないし皆人権は踏みにじられた。現在騒いでいるのは経済的圧力を日本にかけようとしているのだ”と。
 
このような態度があるからこそ戦争責任でこの問題が制裁されていないだけでなくあらゆる方面から追求していく必要性を感じる。日本はこれまでに度々戦争中の日本の醜い面を隠したり若い世代に伝えたり教えていくことを避けてきた。国全体が戦争中の話題をすることはタブーで”国家健忘症”に陥っているきらいがある。
 
慰安婦問題で”日本の戦争中の残虐行為”に不信を示す態度は新たな疑問を生じている。何がもっとも求められるかというと賠償と謝罪だけでなく日本人全体に対しての歴史の正しい理解だ。
 
この問題を追求していく上で最もよく纏まられた説明が韓国挺身隊問題対策協議会が結論している”日本が犯した戦争犯罪の中でも慰安婦問題は最も非人間的な行為だ。国が犯した残虐性では世界に例を見ないものだ。私達は隠されている真実を公にし犠牲者に賠償と謝罪を執拗に求めてきた。この動きは人権を踏みにじられた元慰安婦達の権利を取り戻すための運動でもある。これは又ゆがめられた理解の韓国と日本の歴史をただしこのような戦争犯罪を2度と繰り返さないにように世界に警鐘をならす為でもある”
 
ヒックスは彼の日本政府の非難を支える膨大の証拠を述べていく。しかしこの問題を歴史的観点から他国の軍が行った売春行為に関する視点で考えるくだりでは、彼の説明の焦点がぼけてくる。戦後はアメリカ人の兵隊も慰安婦が言うように”日本の兵隊と同じような性奉仕を行った”と指摘することは勿論正しい。”日本軍の性奉仕とアメリカの駐留軍の性奉仕は女性の非人道的行為という面ではコインの表裏みたいだ”と著者は正当化するような口調で言う。
 
 
当時ヒックスは明らかな違いも書き記している、次の文章を見てみよう:ユダヤ人ホロキャストの学者はこの大量虐殺を歴史上の他の大量虐殺の例と比べてみても尊厳の剥奪の規模と性質、殺人と拷問に国家組織が深く関わったということでは類をみない。日本軍の性売春婦活動も国家と帝国陸軍が関係したことも含めて歴史上類を見ない。女性への尊厳の剥奪の深刻さの規模だけでなくまた苦しみにおいてでもある。
 
日本帝国陸軍は稀有な方法で試みようとした。ある者は性的抑制は事故を起こしやすいと考えたり、戦いの前の性交は傷を受けないとかの迷信、又ある兵隊は慰安婦の恥毛でお守りを作り戦場にでかけた。
 
迷信は状況をさらに堪え難いものにした。しかし軍司令部は”性に関しては軍事教練の外”という事で放っておいた。軍の中では新入り兵隊に完全なる服従をさせるため毎日虐待し非人間的に扱った。慰安婦は新入兵の激しい不合理な扱いを、特に司令官からの、我慢できる効果があると信じられていた。彼等は所属している兵隊達を低能な人類と見なし、女は軽蔑され性が違うだけでなく人種も違うと見なされていた、ある司令官は”やつらは牛以下だ”と嘯いた。
 
又大規模による官僚が関係したことは明らかだ。女性は3つの内1つの方法で得られた。最初は売春婦の中から応募者を募った。最も良く使われた手口は若い女性を料理、洗濯、看護、給仕等の仕事だと騙した。最後には女性は奴隷取引のように捕獲した。
 
ある”募集”は日本軍関連の民間のグループがあつかった”慰安所”を管理し、管理には軍が作った規則に準拠させ、性病の検査も行った.公認の規則はないが、開店の時間、1回の奉仕時間、浴室の手順、コンドームの使用(コンドームの不足しているところでは洗って何回も使う)、料金等が決められている。軍の官僚は女性を普通の物資と同じように扱った。慰安所の中での振る舞いは別として(男の欲望が暴力的に満たされる等)、慰安所は驚くほど陳腐で平凡に経営された。
 
作品にはちょっとした問題ある。かなりの知識人でも太平洋の地図には戸惑う。本に最低1つくらいの地図を付けてもらいたかった。戦争の背景の説明が少し
大雑把だが、筆者が問題の弁護側と日本の遅々とした罪の認識に年代別に批判していくに伴い後半にかけて反対に読者を詳細の記述に引き込む。最後に細かいことだがアフガニスタンの専門家として日露戦争が”アジアの国が初めて西欧の国と戦争して勝った”は正確でない。
 
又筆者が連合国がこの問題について戦争犯罪裁判でもっと早く処理しなかったのは失敗であるとの意見には賛同できない。連合国側は数少ない証拠しか持ってなかっただけでなくその時の環境を考えると芸者、トルコ風呂、その他似たようなもので知られている文化では慰安婦は特別ではないと考えても不思議ではない。
女性の権利の意識が強くなってきた現在、この問題は強い関心を集めるようになったが1940年当時の連合軍側がどのくらいはっきりと文化の習慣と残虐行為の差を認識していただろう。
 
現在も新たに発見されてい資料のおかげで今では慰安婦問題ではヒックスの作品がすべてと言う信奉者ばかりではないが彼の与えた情報は大きな価値がある。彼の作品が扱う提題は人種差別の嫌悪感とか感情的になりやすいが限られた範囲での公平さを保ったと言う点でも評価される本だ(本のタイトルは別だが)。慰安婦に同情をよせる前日本兵、”便所で用をたすのと変わりない”と全体の仕組みに反対する元兵隊も含む、もいるとヒックスは付け加えた。73才の元兵隊は”元慰安婦は何かの形で補償されるべき時だ”。ヒックスの本の読者はこの意見に同意するだろうということでこの本の結論としたい。
 
以上
 
これが原文へのリンクですH-Net Reviews
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

オーストラリアのABC プログラムが上海で放送したもの

Published on May 14, 2014

Australia ABC program Q&A aired in Shanghai in China with Japanese subtitle.
オーストラリアのABC プログラムが上海で放送したもの。日本語字幕入り
オーストラリアと中国の関係、中国と日本の関係、大気汚染の問題、中国経済発展の問題­点、
中国の報道センサーシップ、民主主義への移行等が話合われています。

 


オーストラリアABC局 公開論争プログラム "Q and A" - YouTube

民主主義はいつでも最良の政治体制か

Published on Aug 22, 2014

”民主主義はいつでも最良の政治体制か”についての討論、日本語サブタイトル付き
催し 知的広場討論
討論の行われた場所 イギリス ロンドン
司会者 Nick Gowen(ニックゴーエン)
討論者 肯定側 Martin Jacques(マーチィンジェイク) ”中国が世界を制覇する時”の著者     Rosemary Hollis(ローズマリーホリス) 中東研究の教授、”民主主義に友達 はいない”
   否定側  Ian Bremmer(イアンブレマー) アメリカの政治学者、政治的リスクの研究 コンサルタント ユーラシアグループの指導者     Andriy ShevChenco(アンドレイチェブチェンコ ウクライナの国会議員

 


民主主義はいつでも最良の政治体制か - YouTube

インドネシア人の元慰安婦の初めての告白

これはインドネシアに住む元慰安婦の物語を記述した新聞 Jakarta Globeの記事である。インドネシアは前スハルト政権の下ではこのような話は国辱ものとして話せなかった。又元慰安婦の人も慰安婦の体験はその後も心の傷となり思い出したくもなかったがオランダ記者のビルジャンセンと写真家のジャンバニングの努力によって重い口を初めて開く事ができた。

 

これがその全文の訳です。

インドネシア人の元慰安婦の初めての告白

2010年8月18日 カトリンフィジ報告

13才になるロナシーは学校から帰る途中あだ名がサイドバーンズという兵隊にトラックに乗せられて近くの兵舎に運ばれドアに鍵をかけられた。
そこで彼女は3ヶ月間サイドバーンズと彼の友達に何回も強姦された。

これは西ジャバ セランガに住むロナシーの話だけど他にも第二次世界大戦中彼女のような暴力的性行為の犠牲になったインドネシア人の婦女子は多数いる。

彼女等は日本軍の兵隊に強制的に売春婦にされたり繰り返し強姦、性的虐待が倉庫の中や汽車の貨車の中、時には彼等の家の中でも行われた。

これは少しの人間しかおおやけに語ることができない歴史の暗い一章である。

彼女達、慰安婦又は従軍慰安婦と呼ばれた人達は不名誉、恥辱を今でも感じている。

彼女の父親は兵舎を娘を返してもらおうと何度も訪ねてきたが却って娘の返還は彼の無償の労働が条件だとと言ってただで働かせられました。ただしロナシーが帰ることができたのは戦争後で体はやせ細っていました。”体中が痛くて歩けないので這って家に辿り着きました。”

戦争の後すぐに内部疾患の手術をしました。”はじめは体が回復しないと畏れ体が回復する迄待ってたので結婚は随分後になりました”

彼女は5回結婚したが子供はできなかった。”私は体に注射もしてもらいましたが、子供は神様が与えるもので人ではないと思いますから”

彼女の物語は今オランダの記者のヒルダジャンセンと写真家のジャンバニング主催の南ジャカルタのイラスマスで開催中の従軍慰安婦写真展に展示されています。

ジャンセンとバニングは沈黙を守っていた元慰安婦だった人に話を聞き録音するためインドネシアに来た。

展示会はその仕事の一環で18人の顔写真、彼女達の年齢は70後半から80前半、彼女等の物語を綴ったノートを添えてある。

又オランダの書庫で見つけた日本の戦争のプロパガンダのポスターも展示している。このポスターはその横に並んだ彼女達、体験談を滅多にしない、の写真と対象的だ。

加えてジャンセンとバニングは”恥と無邪気さ”:苦しんだインドネシアの慰安婦の記録”という本の英語版とオランダ語版を最近発行した

又バニングは元慰安婦の写真集も創った。

”醜い女に見えることをなんと願ったことか、醜い女はすぐに返されたけど可愛い子は残らなければならなかった”。これらの言葉は西ジャバ クニンガンから来たエマという婦人の写真に添えられていた物語の中からである。

写真は黒のブラウスを着て紫色の花を手にした年老いた女の人が写っていた。寄せ皺が厳粛な顔をつくっていた

エマは結婚することは出来たが遂に子供ができなかった。

添えられた彼女の体験談を語るノ-トがなくても心に受けた傷と悲しみが写真の中にある彼女が語りかけてくる。

ジャンセンはこの仕事は簡単ではないと言う。まず元慰安婦を探すのが困難で居場所がわかっても、ほとんどの者は慰安婦の体験談をしたがらない。また元慰安婦のほとんどは既に亡くなっている。

私達はまだ恥辱心など心の傷を抱えた彼女達を慎重に扱わなければならなかった。彼女達は強姦という言葉を使うのにはためらいがちで照れ隠し笑いをしながら強引な性行為とか単にやられたとか言う言葉を使っていた。

現在80才になった彼女達でも時々今でも侮蔑を含んだ薄笑いされる場合がある。

彼女達は太平洋戦争の思いをできるだけ忘れたくても、軽蔑の眼、心の傷み、子供の出来ない人生、失敗した結婚生活が彼女達にまとわりついて忘れさせない。

彼女達にとって慰安婦の体験は思い出したくない話だけどジャンセンは公けにすることはやはり正しい事だと思った。

この人達は肉体的、心理的に受けた障害と今でも葛藤しているにも関わらずそれを起こした日本人達は今は普通の生活をしている。沈黙の壁は壊れて彼女達の声はもう抑えつけることは出来ない。

女性の対する暴力の国立協会の会長ユニユンテさんがこの展示会を開催しこの問題にもっとこの問題に人の関心を向ける時がきたという意見に同意した。

この写真の中のイメージが与えた大きな功績は彼女達が過去60年間苦しめてきた性的暴力の個人体験を分かち合える勇気を持ったことだ。

彼女達の声は正式な謝罪と賠償金を要求するだけでなく又将来の女性達がこのような性的暴力の犠牲者にならないようにすることである。

バニングによると慰安婦の数はアジア全体で200,000人,インドネシアだけで20,000人いる。彼は前にも似たようなプロジェクト、戦争中のビルマとスマトラ鉄道の強制労働に苦役された男達、を扱ったことがある。

ほとんどの男達は口が硬かった、彼等にとっては嫌悪感と恥ずべき体験だった。

彼は慰安婦の体験も同じような切ない気持ちが、いやそれ以上だったと付け加えた。実際はオランダの慰安婦の事もこのプロジェクトに含めた。オランダの慰安婦は200から400人居るはずだがあらわれたのは数えるほどだった。

ユニユンテさんは慰安婦の物語はこの国を形成してきた要因の一つだと言う。インドネシア独立の話の最も重要な時を担っただけでなく、慰安婦に関連した案件は今でも適当な問題である。前の政府(スハルト政権)の行政で問題のある案件は秘密にしたりもみ消されしたのは明らかである。
 
国の評判を汚すので慰安婦の話は隠されていた。女性への性的暴力に関しては過去40年に渡り似たようなことが起きていた。
 
1998年の5月に起きた事件で中国系の女性は集団強姦、性的暴力の犠牲になったが今迄無視されてきたとユニユンテさんは語る。
 
1998年の事件がインドネシアの民主主義運動の起こりと自慢する陰で、1998年5月の事件はただの暴動だとか子供を失った悲しみを抱える母親や国の評判を下げるのかの非難を恐れるため個人の経験を話せない女性達に関心を向けなかった。
 
性的暴力の犠牲になった女性は彼女達の家族や社会に沈黙されてしまう。彼女達は身の安全と女としての罪の恥ずかしさと不名誉な評判を避ける為黙っている。
 
この女性達がこのような行為によって受けた肉体的、精神的な苦痛は決して拭えないが彼女達の物語は語られるべきだ。
 
私達は私達の為にだけ生きているのではない。私達は私達の出来る限りで社会に尽くすべきであるとバニングは言う。だからこの物語を世間に聞かせるのである。
 
  以上
 

 

慰安婦の問題を日本の外ではどう思っているのか

朝日新聞の慰安婦の記事の訂正があってから世界の慰安婦に関する認識も変わるだろうとか変わるようにすべきだとの論議がされてうますが実際のところ外国ではどう思っているかの意見を紹介する意味でこのブログを作ってみた。

これはアメリカの雑誌Forbeに載っていたエーモン・フィングルトン氏の'Disgusting!.'Cry Legal Expert:Is This A Top U.S. Law Firm Has Ever Stooped?'(”あきれかえった” と法律専門家は声をあげた、ここまで卑屈になった米国の中でもトップクラスの法律事務所)

この記事はグレンデールで慰安婦の記念碑を取り除く訴訟を起こした日系活動団体を弁護する筈だった法律事務所メイアーブラウンを酷評したものです。この記事のためかどうかはわかりませんが現在はメイアーブラウンは原告の弁護を降りたそうです。日本以外の慰安婦に関する見方の一端がわかるので自分なりに訳して紹介することにしました。

 

この記事の筆者のエーモン・フィングルトン氏は27年間東京を基点に東アジア経済を扱ってい経済記者です。日本については親日家でも嫌日家でもないと思います。

 

下が訳文です。

”あきれかえった” と法律専門家は声をあげた、
ここまで卑屈になった米国の法律事務所

ユダヤ人には大量虐殺は当然の報いだとの依頼を取り上げる一流の法律事務所がアメリカにあると思いますか? 普通の法律事務所はまず断るだろう、又評判がそれほどよくない事務所でも名前に傷つくリスクが大きいと判断して取り合わないだろう。
日本帝国陸軍が行った暴虐に関して弁護しようとする一流の法律事務所が米国に1つある。シカゴに本社を構えるメイアーブラウン法律事務所は米国で最も悪名高い”慰安婦”のケースー戦時中の大日本帝国陸軍が行った性奴隷はただの売春婦だったと証明しようとしている。
訴訟を起こしたのは日系人のミチコ シオタ ジンジャーリーと目良浩一
とGAHT-US(奇妙な名前、組織の正体を知ったらメイアーブラウンのまともな法律家なら恥ずかしくなると思うが後で話そう)。
訴訟の焦点は最近カルフォルニアのグレンデールの公園に建てられた韓国出資の慰安婦記念碑に関した件である。
訴訟の目的は記念碑はアメリカに住んでいる日系人に疎外感、嫌悪感、そして怒りなどの精神的苦痛を与える為取り除く依頼である。

これはユダヤ人のホロカースト記念碑がドイツ系アメリカ人に精神的苦痛を与えるから取り除けというようなものである。この訴訟はアメリカの主報道機関ではあまり話題になっていないが海外、例えばロンドンではロバートフィスクが痛烈な批判をしている。又法律関係のブロガーから辛辣な批判が、例えばロスアンジェルスの有名な司法家ケンホワイトは私は今迄こんなに腹が立ち唖然とした訴訟は聞いた事がないと。この訴訟は法律を馬鹿にしているから絶対成功させてはならない、そしてこれに関係した者達は社会的罰を受けることを覚悟すべきだ。ブログのリンクは
http://www.popehat.com/2014/02/25/controlling-public-art-by-lawsuit-japanese-american-citizens-sue-to-remove-comfort-women-memorial/

強烈な言葉だがホワイトの主張は正しい。既に多数の歴史資料で日本帝国陸軍が日本の植民地で営んでいた売春宿に多数の無邪気な少女達が銃で脅かされ連行されて性行為をやらされていたことがわかっている。
(勿論全部が無邪気な少女ではないが。軍は最初はプロの売春婦を使ったが、プロの売春婦でさえそんな地獄のようなところに自主的に働くものは少なかった。ごく少数の売春婦が軍の要望を満たしただけだ。日本の軍隊は巨大で6時間帯に広がって600万人いた。ほとんどの兵隊は休暇なんてなかった。)

27年間日本に滞在して東京で観察してきた私としてはメイヤーブラウンが主張してきた”今でも政治的な論議が活発に交わされている話題”はあきらかな詭弁だ。この問題ははっきりしている。慰安婦の証言に疑問を持つまともな日本人に私は会った事はない。

日本政府でさえ認めている。1993年に内閣官房長官河野洋平氏の発表した広く知られている”河野談話”によれば仲介人が軍のかわりに脅かして無理矢理に連行したケースが多々あると言っている。この発言によれば奴隷的扱いを受けていた婦人達の状況の詳細まで述べている。”軍隊の移動により彼女達も移動しなければならず彼女等に自由はなく惨めな思いをしなければならなかった。”

”河野談話は発表された時はアメリカの主な新聞の1面に扱われたニュースだったが内容に新しいものはなかった。東京は長い間否定してきたので事情に詳しくないアメリカの報道機関は内容を初めて知ったが、慰安婦に関する訴訟は欧米式の裁判で1948年にオランダの法廷で判決がくだされている。
オランダ領東インド(インドネシア)で行われた裁判ではオランダ婦女が日本軍将校達に性的奴隷を強いられた。1日本軍将校は死刑になり10人の日本人兵隊が刑務所に送られた。
1956年には欧米の日本外交では珍しく、日本政府から虐待犠牲者への補償を勝ち取ることはほぼ不可能だったが、日本政府が補償金を犠牲者に払った。
1985年にはオランダ政府は慰安婦についてオランダの戦争の歴史に掲載しました。リンクはhttp://www.awf.or.jp/pdf/0205.pdf

驚くべき事実の1つに被害国、中国、韓国、台湾、ベトナム、インドネシア、ビルマ、フィリッピン、そしてオランダ、の犠牲者の証言の詳細がほとんど似ているということである。
慰安婦の話は日本軍国主義の長い歴史でも1930年以前には聞いた事はない、日本は19世紀後半から20世紀前半にかけていくつかの戦争を経験しているが。それまで日本は婦女子の扱いに関してもジュネーブ条約の模範的な遂行国であった。それは新しい日本が文化国家として世界の覇権を握る強い欧米の国家の仲間入りする為の外交、経済政策の戦略であった。
1930年以前は軍の性的行為が皆無なのに突然起こってきたのは東京が”制限なしの戦争遂行”の政策を決めたことと合致している。(軍部が政府を超える権力を持ったこと、統帥権干犯、天皇の君臨すれども統治せず方針のことを意味していると思われる)

GAHT-USはGlobal Alliance for Historical Truth-US(歴史の真実を求める世界連合会)の訳で響きはいいが創設の謂れはそうでもない。この組織は最近2月6日に創設されUPS会館が正式な住所として登録されている。何が問題かと言うと意図的に他の組織の名前と間違える名前が選ばれた。Global Alliance for Preserving History of WWII in Asia, アジアにおける第2次世界大戦の歴史を守る世界連合会。後者は中国系アメリカ人の学者達で組織された昔から信頼されてきた学会組織で慰安婦論議にかんしては反対の立場をとる。グ-グルでGloval Alliance for Historical Truth を探索すると最初の2つは中国系アメリカ人の名前が見つかり評判の高い中国系アメリカ人の学者グループでさえ慰安婦は売春婦だと言う説に賛同しているという印象を受けるわけである。記事を書く為ミチコ.ジオタに電話して彼女は慰安婦の証言は虚偽と思うかと尋ねた。彼女は質問には答えず慰安婦記念碑は韓国か日本ならともかくアメリカに建てるべきではないと答えた。同じ理由で記念碑に反対する意見があったが少し偏ってる見方だと思う。事実は韓国系アメリカ人はグレ-ンデ-ルでは少数グループで他の民族グループが過去の残虐行為の記念碑を建てるのは珍しくない。ウイクペデアによればユダヤ人ホロキャストの記念碑だけでもアメリカに45ありアイルランドの飢饉に関してが16、トルコのアルメニア人虐殺が6ある。
 
メイアーブラウンはこの司法ケースを扱うべきかどうか?次の言葉は米国憲法修正第1条(宗教言論の自由)で有名なマークランダザのものである。”すべての法律事務所は度々次のような質問にでくわすだろう’この件に私の名前がでてもかまわないか?’次のような状況の場合このような判断をくださらなければならないだろう’この件を扱う事は正しいか?’正しいケースと正しくないケースはわかるはずだ、あtなたが犯罪を犯したと思う者を弁護することを言っているのではないー被告に公正な弁護は不可欠である、真に悪辣な者を弁護することでもないー重要な法律案件を見落としているかもわからない、私が言いたいのは心の底から嫌悪感を感じる場合である”
 
それなら何故アメリカの20のランクに入る立派な法律事務所メイアーブラウンがこのようなケースを弁護しようとするのか。答えは私にもわからないがケンホワイト氏のウエブサイトに載っていたコメントが適当に思える。
”メイアーブラウンはアジアでビジネスを行っているので多分大きな顧客を喜ばせるか、日本の市場に手を伸ばそうとしてるのでは”
 
以上