Souichitj’s Blog

海外からの読み物

オーストラリアに住むジェンオーハンさんの慰安婦としての思い出

インドネシアの慰安婦のスマラン事件で知られる帝国陸軍の売春宿で働かせられた

現在オーストラリアに在住するジェンオーハンさんの経験談の訳分です。原文は

オーストラリアの戦争記念館に置かれています。

 

オーストラリアに住むジェンオーハンさんの慰安婦としての思い出

 

”慰安婦”

 

ジェンオーハンさんは1923年中央ジャバのバンデングで生まれた。日本が北東インヂィを侵略した後、彼女と彼女の母、2人の姉妹、約1000人のオランダの婦女子はアンバラワにある荒れ果てた使用されていなかった

陸軍の小屋に囚われの身となった。

 

1944年2月トラックがキャンプの前に止まった。17才以上の女子は建物の前に一列に並ばされた。ジャンオーハンを含む最も魅力的な女子が選ばれ日本兵の上官に早く荷物を纏めろと命令された。

オーハンを含む7人の女子は彼女達の居る小屋から47キロメートル離れたセラランガにある古いオランダの植民地風の建物に連れて行かれた。あとでこの建物は日本兵が「7つの海の家」と呼び軍の売春宿になり

内で働く女子達は慰安婦と呼ばれることになった。

 

売春宿の1日目の朝、女子達の写真がとられ受付となる前庭のベランダに飾られた。訪れる日本兵がこれらの写真から女子を選ぶわけである。4ヶ月にわたり女子皆、すべて処女、は昼夜にわたり繰り返し強姦、殴打

に耐えることになるのであった。身ごもった人は強制的に堕胎させられた。

 

恐怖に苛まれた4ヶ月後彼女等は西ジャバのボガーにあるキャンプに移され家族と再会した。このキャンプは軍の売春宿で働かされたた女子だけが住まわされ、日本兵にもし売春宿であった事を外の者に話したら

彼女達と家族皆殺されるだろうと脅かされた。

 

7ヶ月後彼女達はバタビアに移され1945年8月15日に解放された。

 

1946年オハーンは戦後インドネシアの革命軍からキャンプを守ってくれた隊に属したイギリス兵のトムラフと結婚した。2人は1960年にイギリスからオーストラリアへ移住した。

 

原文のリンク

Allies in adversity, Australia and the Dutch in the Pacific War | Australian War Memorial